初めて知覧に行きました。特攻隊機は開聞岳を旋回しながら南の沖縄の空に消えて行きました。10、20代の若者です。私は、67歳。資料館の横の広場で紙飛行機を飛ばしました。遠足の園児が集まり僕にも飛ばさして列を作りました。一人、一人紙飛行機を飛ばし追いかけました。時代が違うだけで同じ場所でやっていることが違いすぎ!何故か涙が止まりません。
はっ!と気付くいい話さんの投稿 2016年3月8日火曜日
一飛曹 永田吉春
一飛曹 永田吉春
神風特攻 神雷桜花隊・昭和二年三月二十三日生まれ
乙種飛行予科練習性。
昭和二十年五月四日 沖縄周辺にて戦死
◆打捨てき 此の世の未練なきものと
夢にぞ想ふ 父母の顔
(出撃の前夜)
◆嵐吹く 庭に咲いたる神雷の
名をぞとどめて 今日ぞいで征く
(出撃の朝)
◆巣立ち征く 南の空に海鷲が
帰るねぐらは 靖国の森
巣立ち征く やよいの空に今日も又
帰らぬ友は 微笑みて征く
海軍中尉 中西達三
神風特攻。常盤忠華隊。 大正十二年五月二十五日生まれ。
海軍兵学校第七十二期。
昭和二十年四月十二日南西諸島(ケラマ列島)にて戦死。
散る桜 残る桜も散る桜
散って護国の花と惜しまん
嵐吹けば 蕾桜も惜しからず
手折りて捧げむ 大君のため
仇しふね うち沈めてぞ地獄なる
鬼へあたへむ わが手土産を
すめろぎの 大和島根よ安かれと
南海深く 身は沈みつつ
二飛曹 宮崎勝
第五神風特攻。神剣隊。大正十五年七月二十九日生まれ。
飛行練習生三十八期。
昭和二十年五月四日。南西諸島方面にて戦死。
母上様
オ母サン喜ンデ下サイ。
私モ神風特別攻撃隊神剣隊員トシテ命ゼラレマシタ。
此ノ一代決選ニ参加出来ル様ニ生ンデ下サレ
又此ノ体ニシテ下サレテ喜ンデイマス。
特別機離陸ハ〇〇基地ヨ
金波銀波の波乗り越えて
たれとて見送る人さえないが
泣いてくれるはお母さん一人
長い間便リセズ不幸者ト思い思ッテ下サイ
ソノ代ワリ見事
デッカイ敵空母ニ体当タリシテ撃沈サセマス
ソノ時ハ頼リナイ勝デアッタガ
ヨクヤッタト喜ンデ下サイ
最後トナッテモ私ノ様ナノンキ者ハ
書クコトハアリマセン
見事撃沈シタ敵空母ヲ
母へ写真デ送リタイ
征く、帰らる男は俺だ。さようなら
お父さんお母さん大変お世話になりました。
之といふ御恩返し出来ず残念ですが
正敏、は必ず立派に任務を達成いたします。
故ご安心して下さい。
正敏、今日迄幸福過ぎていたのに
その上こんな任務を頂き実に幸せです。
大石清伍長「妹への手紙」
静(せい)ちゃん お便りありがたう。
何べんも何べんも読みました。
お送りしたお金
こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。
神だな(棚)などに供えなくてもよいから
必要なものは何でも買って、つかって下さい。
兄ちゃんの給料はうんとありますし
隊にゐるとお金を使ふこともありませんから
これからも静ちゃんのサイフが
空っぽにならない様、毎月送ります。
では元気で、をぢさん、おばさんによろしく。
兄ちゃんより
二人で力を合わせて努めて来たが
終わりに実を結ばずに終わった。
希望も持ちながらも心の一隅で
あんなにも恐れていた
*時期を失する*ということが
実現して了ったのである。
問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は
与えて進ませてくれることと信ずる。
然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として
知ってゆく男子として
女性であるあなたに少し言って往きたい。
「あなたの幸を希う以外に何物もない。」
「徒に過去の小義に拘るなかれ。将来に新活面を見出す事。」
あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。
穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
智恵子。会いたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。
自分も負けずに朗らかに笑って往く。
僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何にも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見て
お母さんを泣かせるからです。
お母さん、ボクが郡山を去る日
自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです。
じつに日本の国体は美しいのです。
私はその美しく尊いものを
身を持って守ることを光栄としなければなりません。
突入の日に生涯を込めた声で
父上を呼んだことだけは忘れないで下さい。
素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし
またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は
お前のお母さん
住代伯母さ様に私の事を良くお聴きなさい。
私の写真帳も、お前の為に家に残しておきます。
素子といふ名前は私がつけたのです。
素直な心のやさしい思いやりの深い人になるやうに
と思ってお父様が考へたのです。
私はお前が大きくなって
立派な花嫁さんになって
仕合せになったのを見届けたいのですが
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても
決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって
父に会いたい時は九段へいらっしゃい。
そして心に深く念ずれば
必ずお父様のお顔がお前に心の中に浮かびますよ。
父はお前は幸福ものと思ひます。
生まれながらにして父に生きうつしだし
他人の人々も素子ちゃんを見ると
眞久さんに会っている様な気がすると
よく申されていた。
出典元:海軍特別攻撃隊の遺書
著者 真継不二夫氏